vol.659 古川くんの発明
2025-10-27
・くりうひろこさんからのお便り①
・動画の感想
・トライアスロンの過酷さ
・開発した最強の自転車
・興味を持った自転車屋
はい、おはようございますえっと、6月の20日ですね、もうすぐ7月だんだん近づいてきましたね
くりうひろこさん
「目風様
古川様
スタッフのみなさま」
「毎日の動画配信をいただきまして、ありがとうございます。
いつも興味深く拝見させていただいております。」
これ6月20日だから
くりうさん、あの、頻繁にお便りいただいて、こないだも頂きましたけどね
「【宇宙全史546】6/19配信」
ですね、
「自分のことは自分でやる」
というやつですね
前日のやつですね、これはね、
前日つか6月20日に送ってきた前日の配信でしたね
「ボタンのお話から・・・・・・心臓が動かなくなったりする時があるわけですよ......」と
「尋常ではない状態のことをさらっとお話されていらして???かつご自分でケアされていらっしゃる・・・・・・
経験したことがないものには想像がつかない苦しみであったのではないでしょうか・・・)」
苦しいですよね、本当に
あの、ずっとトライアスロンをやってた人だから、あの、大したことはないんですよ、普通の苦しみは
いや、本当苦しいですからね
あの、ね、
強い人がトライアスロンやるのは多分相当苦しくても大丈夫だと思うんだけど
弱い人間がトライアスロンやって
フルだね、フルだから3.9km泳いで、180km自転車こいで
自転車結構きついんだよ?
あのね自転車楽そうに思うかもしれんけど、100km超えてごらん?
本当にきついから、もう死にたくなるから
それは180kmだよ
もうね、降りたら何もできないから
そっからフルマラソン走るんだよ
もうエネルギーが枯渇しててっつうんだよね
だから古川君はね、あれだよ?もう体弱かったけども
いつか必ずトップに立てると思ってたらしいから、そういう風に思わされてたんだよね
あのいろんな工夫はしてるんですよ
うん、めっちゃくちゃ彼は工夫したよね
今ここであんま喋ると長くなっちゃうし
面白いことあるよね
あの、古川君が工夫した自転車ってのがあるんですよ
で、人間の体の能力をほぼ100%
100%じゃないな、ほぼ何%ぐらい?
60%ぐらい?
6、70%を自転車に還元できる自転車を作ったんですよ
で、当時馬鹿にされてたよね、それは
で、あの危険だからっつうんで違反報告もされたよ
だけども、それが1番あの早く走れる
軽い力で一番早く走れる自転車、人間の力でね、電動とか使わないで
それはフレーム構造が特殊なやつで、全部作らしたんだよ
何台も作ったよね
で、最後に作ったのは、
それね、あの90度バイクつうんですよ
https://scrapbox.io/files/68ff787aec01bef3f26d6e8b.jpg
あの、このね、あのサドルのポールってみんなこう斜めになってるでしょ?
あれが90°なんですよ
本当は90°以前にやるといいんだけど、それはね、さすがに危ないの
それはコントロール、人間じゃできなくて
90°がギリギリあのコントロールできるんですよ、人間に
で、それがね、1番の足の力がこの回転軸に対して、あの力を、クランクだよね
クランクに対して送れて
https://scrapbox.io/files/68ff76f3801d986c167fffbd.jpg
やっぱ楽なんすよ、やってて
ただ力がないからそれでトップには立てないんだけども
でね、散々馬鹿にされてたんだけども
で、最後に作ったのがですね、90°、
あのね、アイアンマンに、あのハワイアイアンマンに
ハワイアイアンマンはね、やっぱ検査結構厳しいんですよ
で、そこで優勝できると思ったから、
あの、検査をギリギリ通れる
90°よりちょっとだけ
あの、ま、それも違反は違反かもしれないけども、
ちょっと見た目だけ、
ちょっとだけ90度はないのを作ったのが最後の自転車だったんだよね
それも多分保存してあると思うけども
で、そこからもうそのいわゆるその心臓がおかしくなった、おかしくなるような状況に入ってたから、もう全然できなくなったんだけども
で、その自転車に興味持ったやつが1人だけいたんだよ
ええと、城本っていうね、当時最初の
トライアスロンが日本で流行り出した頃に、ま、創世記の頃にいつもトップに立ってたやつだよね
おっさん、大阪のおっさんだけどね、面白い人ですよ
自転車屋さんで
(※城本徳満
福岡県出身。1973年に自転車メーカー入社、
レーサーとして自転車競技に従事。
1985年、31歳で初めてトライアスロン大会
(宮古島トライアスロン)に出場し、総合5位。
1987年にプロ転向。
同年、国内初のトライアスロン専門ショップ
トライアスロンショップ・シロモトを設立。
アイアンマン・ジャパン(びわ湖)など長距離
トライアスロンに多数出場。日本人初の表彰台
獲得など、競技界の先駆者として活躍。
引退後もショップ経営とトライアスロン界の
普及に貢献。)
彼はね、やっぱ探求心は強かった、エネルギー強いからね、探求心が強くて面白い人で
やっぱ大阪人らしく僕の自転車に興味持って
おお、これは早そうだなとか言ってましたけどね
まあ実際には乗りはしなかったけどね
でも馬鹿にはしなかったですね、その人は
でね、面白いことが、
えっと何年前かな?
去年か、去年だよ
去年から今年にかけて、久々にですね、あの、アイアンマン、
ハワイのアイアンマン
あの、一時期コロナでやってなかったんだけども、またやりだしたのを見たんですよ
その時見たことを次回お話ししましょう
面白いよ
はい、今日はここまで